Guy Fawkes Day
毎年11月5日は、【Guy Fawkes Day(ガイ・フォークス・デー)】、またの名を【Guy Fawkes Night(ガイ・フォークス・ナイト)】
日本では”Guy Fawkes Day(ガイ・フォークス・デー)”自体を知らない人も多いかもしれませんが、ニュージーランドはこの時期、夜になるとあちらこちらから花火があがり11月5日の夜は10時過ぎくらいまでとても賑やかです。
現在のニュージーランドのガイ・フォークス・デーに深い意味はなく、今では夏の花火を楽しんだり家族や友達と集まる絶好の機会のようになっていますが、イギリスの歴史的な事件が背景にあるのです。
始まりはGunpowder Plot(火薬陰謀事件)
舞台は今から遡ること約400年前のイギリス。
【Gunpowder Plot(火薬陰謀事件)】と呼ばれる国会議事堂爆破計画に始まります。
1603年にエリザベス一世が跡継ぎを残さずに崩御したために、スコットランドの王である”ジェームズ六世”がイングランドとスコットランド両方を治めることになるのですが、イングランド王ジェームズ 1世となった翌年1604年に国教会優遇政策を行うと宣言。
事実上、カトリック教の排除です。
弾圧をかけられたカトリック教徒が大人しく黙っているわけがありません。
これに憤慨したRobert Catesby(ロバート・ケイツビー)を首謀とする13人のカトリック教徒(ガイ・フォークスを含む)と共に歴史に残る火薬陰謀事件を企てたのです。
その計画とは、ウェストミンスター宮殿(国会議事堂)を開会式の日11月5日(グレゴリオ暦11月15日)に爆破することによって、劇的なかたちで国王ジェームズ一世と国会議員たちをまとめて暗殺し、世間へアピールをしようというものでした。
36樽もの火薬を貴族院の地下室に隠し、実行の日を待っていました。
ところが仲間の一人であるフランシス・トレシャムがカトリックの国会議員たちを巻き込むことに反対します。
というのも、議員の中にはプロテスタントだけでなく、同じカトリックである国会議員もおり、その中には義理兄である第四代モンテアグリ男爵ウイリアム・パーカーが含まれいたのです。
計画の実行が決まり、フランシス・トレシャムは匿名で国会議員である義理兄に11/5には国会に近づかないよう手紙を届けました。※諸説あり
この手紙によって陰謀が明るみにでてしまったのです。
開会式前夜に国会議事堂は徹底捜索され、議事堂地下で爆薬と実行犯のガイ・フォークスが発見され、その場で逮捕。
最初は偽名を名乗り証言を拒んだガイ・フォークスですが、拷問にかけられ計画の全容と共謀者の名前を全部白状してしまいます。
火薬陰謀事件が未遂に終わり、ロンドン市民は王が無事であったことをかがり火を焚いて祝いました。これが、後のガイ・フォークスの直接的な起源となります。
翌年以降、議会は11月5日を【A Holiday forever in thankfulness to God for our deliverance(救助を神に感謝する日)】として1606年に遵守法が可決し、1859年11月5日の遵守法が廃止される続きました。
火薬陰謀事件では、首謀者:Robert Catesby(ロバート・ケイツビー)は逃亡潜伏先で政府軍の襲撃をうけ、逮捕される前に死亡。
そのため首謀者ではなかったものの、最初に捕らえられたガイ・ホークスが事件そのものと同義語となり、遵守法廃止後 11月5日は”ガイ・フォークス・デー”となったわけです。
最初はかがり火だけだったガイ・フォークスも時代と共に少しづつ変化していきます。
次第にかがり火だけでなく花火があがるようになり、ガイ・フォークス人形や民衆の怒りの矛先となる人物を作り、町中を引き回してから夜なったら焼き捨てることが慣例となったのです。
今でもかがり火やガイ・フォークスの人形を燃やす習慣は残っていますが、ニュージーランドでは住宅地での焚火やかがり火は法律で禁止されていることもあり、ほとんど行われることはありません。
ガイ・フォークスはイギリス人入植者達によって世界中に広がりましたが、今では本来の意味を失い、かがり火や花火大会をメインとするイベントを楽しむ社会的記念日となっています。
悲惨な最期をとげたガイ・フォークスとその仲間たち
逮捕されたガイ・フォークスとその仲間たち。
ガイ・フォークスが白状したことにより、政府軍は事件の3日後、11月8日(グレゴリオ暦11月18日)逃亡潜伏先のホルベチェ・ハウスを襲撃します。
Robert Catesby(ロバート・ケイツビー)首謀者
Thomas Percy(トーマス・パーシー)資金提供を支援
John Jack Wright(ジョン・ジャック・ライト) 陰謀に加わった最初の人物
Christopher Kit Wright(クリストファー・キット・ライト)ジョンの弟
以上4名はホルベチェ・ハウスで政府軍との銃撃戦の際に死亡。
内、ロバート・ケイツビーとトーマス・パーシーは、一旦は埋葬されたものの、遺体は発掘され彼の頭は議会の外にさらされました。
John Grant(ジョン・グラント)物資を供給
Thomas Wintour (トーマス・ウインター)首謀者ケイツビーのいとこ
以上2名は負傷を負い、ホルベチェ・ハウスの政府軍の襲撃の際に捕らえられ逮捕。
Ambrose Rookwood(アンブローズ・ルークウッド)馬舎の所有者
Everard Digby(エバーアード・ディックビー)関与不明:一説によると資金提供
Robert Keyes(ロバート・キーズ)火薬や道具を管理
Robert Wintour (ロバート・ウインター)首謀者ケイツビーのいとこ
Francis Tresham(フランシス・トレシャム)密告の手紙を送ったといわれる人物
Thomas Bates (トーマスベイツ) 首謀者ケイツビーの忠実な使用人
以上6名は、襲撃前にホルベチェ・ハウスを離れたり、政府軍の襲撃の際に逃げ出すことのできたものの、次々に捕らえられロンドン塔に幽閉されます。
しかし、当時階級ごとに刑務所が異なったため、身分の低かったトーマス・ベイツだけはゲートハウス刑務所へおくられました。
また、塔に幽閉後、裁判を待たずしてFrancis Tresham(フランシス・トレシャム)の泌尿器系の炎症による病気が悪化し、12月23日に病気により死亡。
その後、1606年1月27日に共謀者達はウェストミンスターホールで裁判にかけられます。
反逆を企てたわけですから、極刑は免れられません。
適応されたのは大逆罪
イングランドでも最も残酷な死刑の一つである【Hanged, drawn and quartered(首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑)】に処せれることに。
※1790年に廃止されています。
裁判の3日後、1月30日と31日の2日間にかけて刑は執行されました。
初日はエバーアード・ディックビー、ロバート・ウィンター、ジョン・グラント、トーマス・ベイツの4名が順番に処刑。
2日目は、アンブローズ・ロックウッド、トーマス・ウィンター、ロバート・キーズ、ガイ・フォークス。
共謀者達は編み垣に乗せられ、ロンドン塔からウェストミンスターのオールド・パレス・ヤードまで引き回され、首を吊られた後、生きながらにして切り刻まれる責め苦の後、体は四つ裂きにされ慣例にのっとり王国の4か所に晒されました。
ガイ・フォークスの処刑は一番最後。この時、ガイ・フォークスは拷問により衰弱しており、死刑執行人の手を借りねば絞首台にも登れないほどであったといわれています。
フォークスは首吊りの後に続く、生きながら切り刻まれる責め苦から逃げるべく 絞首刑台から飛び降りたか、ロープの長さが不適当であったのか、絞首刑の際に死亡。
それでも、死んでからも体は四つ裂きにされ、みせしめのために他の共謀者と同様に王国の4か所に晒されました。
※のちのガイ・フォークス・デーの人形を街中引き回す習慣はこの刑からきています。
意外なところで有名なガイ・フォークス
ここからはトリビアですが、ガイ・ホークスは意外な所でみなさんも知っているかもしれません。
その1:Guy:ガイ(男)
英語で「男、奴」を意味する「Guy(ガイ)」
ナイス・ガイやミドル・ガイという言い方で使われてるガイのことですが、これはガイ・ホークスのガイというニックネームに由来しています。
世間では”Guy Fawkes”の名で通っていますが、実はガイ(Guy)はニックネーム。
正確には”Guido Fawkes(ガイド・フォークス)”なのです。
”Guy(ガイ)”という言葉は事件のこともあり、軽蔑的な意味合いを持って使われていました。
しかし、言葉がアメリカで広がり始めると、こういった意味合いも失われ、今では単に男性を指す言葉となっています。
その2:マザーグースとしても有名
日本では知られていませんが主に、『マザーグース』と呼ばれるイギリスやアメリカの英語の伝承童謡としても歌われています。
マザーグースは、日本の”みんなの歌”のようなもので、子供のうちから広く慣れ親しまれている童謡なのです。
原文:
Please to remember,The Fifth of November,Gunpowder treason and plot.
I see no reason, Why Gunpowder treason,Should ever be forgot.
日本語訳:
どうか 覚えておいて11月5日の火薬陰謀事件
忘れていいわけはないあの火薬陰謀事件を
なぜ子供の童謡に?と思ってしまうかもしれませんが、マザーグースにはこういった事件や時代背景などを歌ったものが多いことで有名。
あの”ロンドン橋落ちた”などもマザーグースの1つです。
その3:アノニマスのトレードマーク
国際ハッカー集団アノニマスのトレードマークとなった髭の生えた白マスク。
あれはガイホークスの顔を模したもの。
1605年の火薬陰謀事件後、毎年祝われたガイ・フォークス・デーですが、18世紀末になると子供たちがガイ・フォークスのグロテスクな仮面をつけてはコインをせがみ始めました。
そのマスクは時代を時代を経て、2008年アノニマスの反サイエントロジー・キャンペーン「プロジェクト・チャノロジー」で使われるようになりました。
サイエントロジー教会メンバーが反対運動者の写真を撮影することがあったため、顔を隠すために皮肉をこめてこのマスクが使用され、次第にトレードマークとなったのです。
もし誰かに聞かれたら?
歴史的事件から始まったガイ・フォークス。
最近では日が近いこともあり、ハロウィンも一緒くたにされてきています。
話すと長くなりますので、もし誰かに聞かれた時に簡潔に答えるのであれば
”宗教戦争でカトリックの一味が議事堂を爆破しようとしたがガイ・ホークスが捕まって失敗に終わり、王の命が助かったことを祝う祭日”
と、答えるとわかり易いと思います。
11月5日はガイ・フォークス・デー。
ニュージーランドでも全国で大きな花火大会が開催されますので、是非お楽しみ下さい。
情報元:Wikipedia”Guy Fawkes(日英)/各共謀者(英)/Gunpowder Plot(日英)/その他””